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『営業が楽しいと初めて感じました。』
部下からのそのひと言に感動を覚えました。

第3章 企業と個人の関係


 1.公私混同をしないことが営業パーソンの基本
 2.商品企画部門との連携
 3.ある青年の就職
 4.七・五・三現象の真の原因
 5.陥りやすい組織偏重志向
 6.組織と個人の調和
 7.企業(組織)に所属する個人
 8.営業パーソンに求められる「個の発想」


1.公私混同をしないことが営業パーソンの基本

 営業パーソンの職業倫理を考えるとき、企業(組織)と営業パーソン個人の兼ね合いをどのように行うか、両者のバランスをどのように考えるかが重要である。

一方で、公私混同をしない、というのが、営業パーソンの職業倫理の基本ではないかと思う。企業(組織)の一員として、すなわち企業(組織)人として営業活動を行うことが大切なのである。営業パーソンは、企業(組織)がつくりだした商品を営業するのであり、企業(組織)活動の一貫として行われるからである。

こんなことを垣間見たことがある。ある営業パーソンが、ある商品を営業するのであるが、営業対象の担当者が個人的に扱っている健康食品を営業パーソンが購入するのと交換に、その商品を購買してもらうのである。健康食品を購買する代わりに、その商品を担当者の会社で購入してもらうのである。いわゆるバーター取引である。

この取引は、当人同士にとってはお互いにメリットがあり、結構なことのように見えなくもない。しかし、言うまでもなく、担当者の側も、営業パーソンの側も、職業倫理に反しているのである。双方が一種の公私混同をしているのであり、職業倫理に反するビジネス行為である。営業パーソンの営業活動というと、得てして個人プレイに走り、公私混同をするケースが見られるが、そうした利己的な営業をしない、公私混同をしないというのが営業パーソンの基本である。

また、こんな営業パーソンがいた。その営業パーソンは、表向きは所属する企業の商品を営業していたのであるが、消費者(顧客)と話しているうちに、その消費者(顧客)が別の商品を探していることを知り、別の商品の営業をして、一稼ぎしたというのである。「営業というのは、あらゆる商品を対象にできる」というのがその営業パーソンの言い分であった。

このケースも営業という職種における一種の公私混同であり、企業(組織)に所属する営業パーソンとしての行為としては認められない。こうした行為も、営業パーソンの職業倫理に反しているのである。

このような職業倫理に反する営業活動を概観しても分かるように、企業(組織)に所属する営業パーソンは、その方針に基づいて、その企業(組織)が開発したり、仕入れたりした商品を営業するのであり、これが職業倫理としての基本である。購買してもらいたいがために、お茶菓子などの簡単なお土産を持っていく営業パーソンがときとしているが、たとえお茶菓子と言え、厳密に言えばやってはいけない行為である。また、担当者個人にお歳暮やお中元の品を送るケースも散見されるが、これも同様に、職業倫理に反する公私混同だと考えられる。営業パーソンは、企業(組織)の中で、営業という職種を分担しているにすぎないということを忘れてはならない。

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2.商品企画部門との連携

 営業パーソンが企業(組織)の一員であり、決してほかの部署と隔離しているわけではないということを、ここで強調しておきたいと思う。

営業パーソンがいくら適切な営業活動をしてがんばっても、商品開発部門が劣っていれば、その商品は売れない。その場合、売れないのは営業パーソンの責任ではなく、企業(組織)のほかの部門に責任があると考えるべきである。決して営業パーソン個人だけの問題ではない。

 そのような考えを前提に、営業パーソンの企業(組織)内の位置づけを考えてみよう。実際の営業パーソンは、消費者(顧客)と直接に商談を持つのであり、消費者(顧客)のもっとも近くにいる。そのため、消費者(顧客)がどのような商品を求めているか、そのニーズをもっとも知ることができるのである。そこで営業パーソンは、商品開発・商品づくりの場面で、消費者(顧客)のニーズを反映させるという重要な役割を持つことになる。

 商品の価値を正しく消費者(顧客)に伝えるのが営業パーソンの役割だとすると、消費者(顧客)に求められるニーズに対応し、より利便性の高い商品を開発したり、仕入れたりするときの、営業パーソンの役割が、改めて注目されることになる。有用な商品を、企業(組織)の企画部門や仕入れ部門でどのように決定するか、そこに対して営業パーソンによってフィードバックされる意見が反映されなくてはならない。

 ここで最近の状況を見ると、企業(組織)に対する不信感に関して、商品自体に対する不信感が、消費者(顧客)に表面化しているのではないかと思う。以前の企業(組織)が開発したものならば、その商品の品質に対して消費者(顧客)は大きな信頼感を持っていた。それが現在、消費者(顧客)の立場で作られていないという不信感が醸成されてしまっているように思う。商品というものはあくまでも消費者(顧客)の立場に立ってつくられるのであり、そこに顧客満足が醸成される。しかし現在、企業(組織)本位の商品づくりに対して、消費者(顧客)の不信感が生まれてしまっているのである。

商品自体に対する信頼を改めて確立するためにも、顧客本位の商品づくりが大事な要件なのであり、そこに営業パーソンと商品企画部門が連携する必要性がある。企業内において、情報とくに消費者(顧客)情報というものの共有化が必要なわけだが、中でも営業パーソンと商品企画部門での情報の共有が重要である。そういう両者の連携というものが、現代の企業において求められており、営業パーソンは職業倫理としてそのような役割が求められているのである。

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3.ある青年の就職

前節と矛盾したことを述べるようだが、一方で営業パーソンは、企業(組織)の方針に全て順応していれば良いというものでもない。営業パーソンが企業(組織)と一体化・同一化しようするばかりに、企業(組織)人としての職業倫理に反する行為に走ってしまうケースも散見される。企業(組織)人に徹するという考え方に、営業パーソンが陥りやすいワナも、一方であるのである。

私がその青年男性と出会ったのは、彼が大学を卒業して半年あまりが経過したときであった。その20代前半の青年は、就職活動について相談を持ちかけてきたのである。

 彼の話によると、大学を卒業するに当たって、ある新興の中小企業に就職した。その中小企業は、ある製品の販売を主業務としており、青年は営業パーソンとして採用された。

ところが就職してすぐに、彼が上司から強要されたのは、無謀な営業活動であった。法律には違反していないとは言え、その営業活動はとてもまともなものではなかった。ドア・トゥ・ドアの営業で、ダマシの手口を使い、「押し売り」してこいと命令しているようなものであった。「詐欺的」で「犯罪的」な営業活動を強要されたのである。教育訓練という名の下で、そうした営業方針が、新入社員に伝えられ、指示された。

それでも彼にとっては、就職難の時代に折角就職することのできた会社だという思いが強かった。そのため、できるだけ長期にわたって就業することを目標とした。辞めることはできるだけ考えないようにした。

彼が半年という短い勤務の後、辞めることを決心したのは、突然、ある中京地区への配転を言い渡されたためだった。地方への配転自体は多くの会社で辞令によって行われることだが、同社の配転は、希望を聞くことなどもちろんなく、強圧的なものであった。配転を指示された彼には、その地域に行くと、前述の「詐欺的」で、「犯罪的」な営業をさせられることは自明なことであった。

彼の中では、その会社の営業方針やマネジメントに対する不信感が高まり、その結果、わずか半年の勤務でその会社を辞めることになった。次々に新入社員が辞めていくのも、その企業(組織)の体質、文化の荒廃ぶりを示していた。辞めることを決心し、自分から退職したのだが、青年には強い失望感が残った。初めての就職先だっただけに、相当大きな心の傷として残ってしまったようである。青年の、一生懸命に働いて、会社に寄与し続けたいという夢は、打ち砕かれてしまったのである。

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4.七・五・三現象の真の原因

 七・五・三現象ということが言われている。就職しても3年以内に辞める率が、中卒で7割、高卒で5割、大卒で3割に達するという現象である。

 その原因は、若者たちの側にあるとされる風潮があるようだ。若者たちが、社会知らず、常識知らず、礼儀知らず、というのが原因であるかのように、よく指摘される。「最近の若者は辛抱が足りない」と、結局は若者の側に原因が求められることになる。

 もちろん私も、若者にそのような傾向、性格が見えるケースがあると思う。しかし、それだけが七・五・三現象の原因なのであろうか。

私は多くの場合、就職先である企業側にも原因があるのではないかと考えている。少なくても前節に登場してもらった青年のケースでは、青年の側だけに半年で辞めた原因があったとは思えない。むしろ、企業の側の営業方針、マネジメントに問題があったと考えられる。そして、社員の定着率が悪いと言われる企業(組織)が、前節に指摘した企業(組織)だけでなく、多く日本社会に存在しているのである。それが多くの企業(組織)を見てきた私の実感である。

私は前節に登場してもらったような青年に出会ったときは、次のように応えることにしている。すなわち、「マネジメントの良い会社と悪い会社は半々の割合だと考えてください」と。そしてさらに、「あなたは運悪く、悪いマネジメントの会社に就職してしまい、半年で辞めることになってしまいました。ですから、次の就職先には、良いマネジメントをする会社であることを確認して就職するように、就職する側からも選択するようにしてください」と応えることにしている。

もっとも、就職先の企業(組織)がどのような体質かは、なかなか判然としない。だとすれば、企業(組織)を早期に辞職するという選択も、正しい場合があり得ると考えるべきである。

その青年はその後、就職活動に前向きに取り組み、ある小売業の会社に販売員として就職することができた。私にくれた電話での就職報告の彼の声は高らかで、晴れやかであった。きっと、その会社は比較的良いマネジメントをする会社であったのであろう。またそう祈念したいものである。青年は、夢を持って入社した新しい企業(組織)で、現在も元気に働いていると聞いている。

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5.陥りやすい組織偏重志向

この第3章の冒頭で、営業パーソンもまた、企業(組織)の一員であり、企業(組織)人としての意識を強く持って営業活動をしなくてはならない、と述べた。それが、営業パーソンの職業倫理の基本であるとした。

それでは、企業(組織)が、ビジネスにおける倫理に反する営業活動を行っている場合は、企業(組織)に所属する個人は、どのように対処すべきだろうか。私に言わせれば、大まかに言って半分の企業(組織)が、ビジネスにおける倫理に反する営業活動を指示しているのである。前節の青年の直面した現実は、その一例なのである。

企業(組織)自体がビジネスにおける倫理に反する体質、文化を持っている場合、企業(組織)の一員としての立場に立とうとすれば、その個人としての営業パーソンもまた、ほかの従業員と同様に、職業倫理に反してしまう。そのような場合、営業パーソンは、働く中で、強い疎外感、孤立感を持つことになってしまう。否定されるべき体質、文化を持っている企業(組織)において、個人としてはどのような対処・対応が必要なのだろうか。

 企業(組織)が、ビジネスの倫理に反する場合、その企業(組織)に所属する営業パーソンとしては、一人の人間としての、個人としての倫理観を重視する姿勢がとても大切である。企業(組織)が誤っている場合は、個人は企業(組織)に順ずるべきではない。企業(組織)が誤っていたら、それに対して反対の立場を取ることが求められるのである。その場合は、あくまでも個人の職業倫理としての価値観に順ずるべきである。そこに、社員個人の職業倫理、営業パーソン個人の職業倫理をもう一度考えてみる意義があると考えられる。別の言い方をすれば、社員個人としての、「自立した」考え方が求められている。

日本社会では、個人の立場を軽視し、「企業(組織)に順応することが全て正しい」という観念が存在する。しかし、企業(組織)が間違っているときに、幹部に対して正しい意見を述べ、モノを言うということが大切なのである。そういう姿勢を持って企業(組織)に所属していなくては、職業倫理を守ることはできないのであり、そのことは特に現代の企業社会では求められているのである。

前節の新入社員として入社した青年が、企業(組織)にモノ申すことなどできなかったのは、それなりに理解できる。しかし、できれば、個人の職業倫理としての価値観を確立して、企業(組織)の体質・文化を革新するように、働くことはできなかったか。難しいことだと思うし、辞めるという選択は止むを得なかったと思いつつ、その青年の職場での今後の課題として考えてもらいたいのである。

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6.組織と個人の調和

【エドガーH.シャイン『キャリア・ダイナミクス』引用】

エドガーH.シャインの略歴
 1928年チェコスロバキア生
 1949年スタンフォード大学で心理学修士号取得
 1972‐1982年マサチューセッツ工科大学で組織研究グループ長
 1978‐1990年マサチューセッツ工科大学経営学のスローンフェローズ教授
著書/関連書
 『キャリア・ダイナミクス』二村敏子・三善勝代訳(1991年発行 白桃書房)
 『組織心理学』松井賚夫訳(1966年発行 岩波書店)
 『組織文化とリーダーシップ―リーダーは文化をどう変革するか』
    清水紀彦、浜田幸雄訳(1989年発行 ダイヤモンド社)

 エドガーH・シャインは、アメリカの心理学者として知られ、キャリアについての多くの研究業績を残している。中でも、「組織と個人」の関係についての貴重な研究成果を発表している。「キャリアとは、生涯を通しての人間の生き方・表現である」という「キャリア」の定義は、示唆に富むものとして、現在でもこの分野の研究の礎(いしずえ)となっている。

 前出の図表は、シャインが示したもので、「組織と個人」の関係を的確に示している。ここで注目される考え方は、以下のとおりである。

最上位に「社会と文化」が位置し、その下の左側に「組織」、右側に「個人」が配置されている。そして、両者はその下の「調整過程」を経て、「組織の結果」(下左)、「個人の結果」(下右)となって、矢印のように推移する。

こうした図式で注目されるのは、「組織」と「個人」が対等な関係として捉えられており、その両者が「調整」され、両者それぞれの「結果」が達成されることになる。組織への勤務が継続するに連れて、両者が「調整」度合いを強めていくことが示されている。

 この「組織と個人の調整」については、人々が企業(組織)で働いていく場合の実感に即したものである。人々は企業(組織)に参加した最初は、その企業(組織)がどのような価値観、文化を持っているかを探って、それに順化しようとする。その場合、それまでに形成してきた参加者個人の価値観、文化を捨てるわけではなく、組織の価値観と個人の価値観を調整し、折り合いをつけようと試みる。あるときは組織に順化しようとし、あるときは、組織の価値観、文化を個人の価値観、文化に革新しようとする。それが、両者の「調整」を経て、それぞれの「結果(成果)」へと結びつくことになる。

 この「組織」と「個人」の関係をシャインは「心理的契約」と呼び、説明が加えられている。

すなわち、職場で働くうちに、個人の仕事を通した組織への欲求と、組織の仕事を通した個人への要求とが調整され、調和される。組織と個人との関係が次第に確定し、「相互受容」されるようになる。そしてそのような「相互受容」は、両者に変化をもたらす。こうした変化は、組織参加後のキャリア初期に顕著であるが、キャリア発達の中期や後期にも表面化することがある。

組織と個人との「相互受容」は、組織における個人の仕事経験の積み重ねによって形成されていく。個人は、仕事のやりがいや報酬、納得のいく雇用条件、昇進その他のキャリア進展など、所属する組織の構成員であることの未来への期待と交換に、仕事に関して努力し、貢献しようと考える。シャインは、このような組織と個人との「相互期待」は、組織と個人の契約関係だとしている。そして、この契約は条件が明文化されていないので、「心理的契約」だとされるのである。

 「心理的契約」は、仕事を覚え、企業(組織)の仲間として一人前になるにつれて、両者ともに強い期待を抱くようになる。したがって、「期待どおりにいかなかった」という見込み違いと失望が生じた場合は、精神的に傷つきやすくなる。そこで必要なのは、同僚同士や上司と部下との間で、「心理的契約」の抽象的な内容をできるだけ明確にし、新たな現実に合った期待を相互確認し、再契約することである。

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7.企業(組織)に所属する個人

シャインの「組織と個人」についての考察を概略すれば、以上のようである。それを企業(組織)に所属する営業パーソンに当てはまると、どのような考え方が示されることになるだろうか。以下に、社会保険庁の不祥事の事例を参考にしつつ、シャインの理論を応用してみたいと思う。

 2010年、公的年金事業に関する事業を所管してきた社会保険庁は解体され、日本年金機構が誕生した。この機構は、日本年金機構法に基づいて設置された特殊法人である。同機構は、役員及び職員の身分は公務員としない、いわゆる非公務員型の法人である。この設立には、2004年に端を発した社会保険庁の不祥事が大きく影響している。

 少し詳しく述べると、2004年3月、国民年金保険料未納情報に関する個人情報の漏洩が指摘された。引き続いて、社会保険庁のずさんな業務運営が次々と発覚した。2004年7月、約300名の職員による未納情報などの業務目的外の閲覧が判明し、合計513名の職員が処分された。2004年9月には、社会保険庁の幹部職員が収賄罪で逮捕され、社会保険庁の組織の体質や職員の倫理意識が強く問われた。

 2006年5月、全国各地の社会保険事務所が国民年金保険料の不正免除が行われていたことが判明した。調査が進むにつれ、その数は増え続け、最終的には20万件を超える不正免除があった。さらに2007年5月、社会保険庁のオンライン化した際のコンピュータへの入力に不備が多いことが分かる。国会やマスコミにおいて、年金記録のずさんな管理が強く批判された。

 こうした一連の不祥事は、社会保険庁の組織体質に根深い問題があったことをうかがわせる。その結果として社会保険庁は、日本年金機構へと解体されることになった。国民の年金に対する信頼を失わせた社会保険庁という組織の問題は、2010年の現在も残されたままである。

こうした「組織」問題においては、そこに所属する個人の倫理も追及される必要があると考えられる。一方でこの問題は、我々の目に、「組織と個人」という問題を露呈させている。そして、企業(組織)に所属する営業パーソンの職業倫理についても多くの示唆を与えている。

 すなわち現在、ビジネスにおける倫理に反した営業活動が、企業(組織)によって多く実行されていることは、これまで見てきたとおりである。そして、そのことが社会保険庁問題と同様に、「組織と個人」の問題に根ざしているということも指摘してきた。そして多くの場合、そうした組織体質は、上司の指示として加速され、より大きな弊害を生むのである。そこに組織の危うさ、危険性というものが見て取れるのである。

 営業パーソンもまた、企業(組織)の一員であり、一員として企業(組織)に順応し、指示に従わなくてはいけないとすることは、それはそれで間違っていない。しかし一方で、企業(組織)がビジネスの倫理に反している場合、そこに所属する個人は、どのような行動をとれば良いのだろうか。その個人の職業倫理のあり方について、つまり営業パーソンの職業倫理についても、社会保険庁の問題は多くの示唆を与えている。

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8.営業パーソンに求められる「個の発想」

 企業(組織)に内在する危うさ、危険性を回避するためには、どのようにすれば良いのだろうか。私が考える必要と思われる対処法は、「個の発想」による「個人的努力」である。すなわち企業(組織)において、ビジネスの倫理に反する営業活動が行われているような場合、営業パーソンは、個人に立ち返り、「一人の人間としての倫理に則っているかどうか」を、常に検証することが大切である。個人の価値観に基づいて、企業(組織)に「モノを言う」姿勢を徹底すべきなのである。企業(組織)に対して、個人の側から反倫理的活動を止めさせる努力、「個人的努力」としての「組織を調整する努力」が必要なのである。そういう「改革意志」が必要なのである。

 企業(組織)がビジネスにおける倫理に反している場合、それを個人の倫理に照らし合わせて検証すれば、やってはいけない行為であることが自明になる。そのため、個人的な職業倫理を徹底させることが、そうした企業(組織)の問題解決の最良の方法だと考えられるのである。これが私の考える「個の発想」と言うべきものであり、個人はそこから逃げるべきではないと思うのである。

社会保険庁という組織において、多くの逸脱が黙認されてきたという事実は、我々に不十分な組織と個人の関係を連想させる。そこでは、例えばデータを改ざんしてはいけないという、個人にとっては当たり前な職業倫理が、組織に適用されていない。そして、組織に対する「改革意志」と「個人的努力」が皆無なのである。そういう意味で、社会保険庁という組織に勤務する個人一人一人が糾弾される必要があるのではないだろうか。

企業(組織)の法令違反は、一向になくなる気配がない。利益志向を強める企業(組織)を、あたかも法人という人格として扱い、その法人としての企業(組織)にビジネス倫理を要求することは、決して法令違反の回避へとつながらない。利益偏重の企業(組織)は、利益のためには手段を選ばない経営を、いつの時代にも歩んでしまうものである。そういう宿命を企業(組織)という法人は持ち合わせてしまっているのである。

 企業(組織)が、ビジネスにおける倫理に反する活動を回避するためには、個人の職業倫理という価値観を徹底し、その視点から企業(組織)を見直すことである。個人の職業倫理の側からの「改革意志」と「個人的努力」が必要なのである。そういう意志と努力が、所属する個人一人一人に求められているのである。

営業パーソンという、企業(組織)の中の一部門を担当する個人も例外ではない。そのことが営業パーソンの、企業(組織)に対する一つの職業倫理であり、企業(組織)に対する関係の作り方、調整の仕方とし重要である。

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第4章 営業パーソンの育成    
『営業は専門職だ。』   
営業だけはやりたくないなんて、昔の話だ。

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第2章 営業パーソンの役割
こんな良い商品がなぜ売れないんだろう。
責任のなすり合いばかりでした。

 

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