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『営業は専門職だ。』
営業だけはやりたくないなんて、昔の話だ。

第4章 営業パーソンの育成

 1.差別的に扱われてきた「営業」という職種
 2.営業方法に対する不信感の波及
 3.企業にとって営業パーソンは不可欠である
 4.ヒトとヒトが接することの大切さ
 5.商品を媒介にした消費者(顧客)とのコミュニケーション
 6.営業パーソン個人への信頼感の醸成
 7.「自立」「自律」することのできる営業パーソン
 8.営業パーソンにとっての「良い仕事」とは
 9.法律以前の職業倫理の学習が必要


1.差別的に扱われてきた「営業」という職種

私は戦後の1948年生まれである。大学生時代は、全共闘運動が華やかしころであり、全共闘世代と言ってよいだろう。あるいは、団塊の世代と言ったほうが分かりやすいかもしれない。

1970年前後に大学生活を送っていたのであるが、その時代、就職活動において、こぞって多くの学生が狙っていたのは、出版社の編集部への就職であった。編集の仕事が花形であり、多くの学生がその職種に就くことを夢見ていた。競争率は高く、私も受験したのであるが、合格の通知をもらうことはできなかった。出版社の営業パーソンの募集もあったが、当時は学生たちから軽視されていたように思う。

ちなみにその後の推移を見ると、宣伝・広告の職種が花形だった時期があったし、さらにその後は、企業の広報の専門職になりたいという学生が多かった。理工系は私には分からないが、文科系では花形の職種は、時代の経過とともに、そのように推移したと思う。

それでは一般企業における営業という職種はどうだったろうか。私たちの世代では、同じ出版社でも営業部門への就職は、嫌われていたと言ってもよいくらいである。編集部への就職は希望しても、営業という職種は卑下されていた。理由は定かではないが、そのような傾向があったと思う。

出版社以外の業種においても、例えば建築関係や製造業では、技術部門への就職は歓迎される一方で、営業部門への就職は嫌われていた節がある。ちょっとうがった見方になるが、そこには手に職を持った職人を尊重し、営業を卑下するという日本人独特の職業観があったのではないだろうか。

営業という職種は、売り上げという金銭にこだわる職種ということで、あまりきれいな仕事ではないという観念があったからかもしれない。とにかく、営業という職種は軽視されてきた傾向があり、営業パーソンはちょっと極端な言い方になるが、卑下されていたとさえ思う。「職業に貴賎はない」はずなのに、日本では、営業という職種、そしてそれに携わる営業パーソンという人材は、差別的に扱われてきたようにさえ思う。

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2.営業方法に対する不信感の波及

なぜ、営業パーソンは卑下されてきたのか、その理由をもう少し考えてみたい。

その一つの理由は、「営業パーソンは売るためには強引な方法も採用するのであり、売らんがためには手段を選ばない。ビジネスの倫理のかけらも持ち合わせていない。会社の利益のためには、コンプライアンス(法令遵守)を無視している」という思いを日本人は持っているのではないか。営業パーソンは守銭奴であり、売り上げのためには手段を選ばない、という思いが、日本人にはあったのではないかと思う。

そうした思いに追い討ちをかけたのが、2007年のサブプライムローン問題から始まった今回の不況ではないだろうか。営業パーソンとその営業方法とについての不信感はより深刻になり、営業活動自体を忌み嫌うような傾向に追い討ちをかけてしまった。企業に対する不信感が台頭し、その一部の活動としての営業活動に対しての不信感を、人々は持ってしまったのである。

ひるがえって、現在の高度情報社会において、営業パーソンによる営業活動は、企業にとって必要不可欠なものなのだろうか。そんな問題提起が成立するような状況を2010年の現在、抱えているのであり、営業パーソンの存在価値が問われているのである。

ここで、企業(組織)の営業活動というものをもう一度問い直す必要が生まれている。営業パーソンの存在価値を根幹から問われるような状況に、現在はなっているのである。

すなわち、「あなたの会社の営業は、『詐欺的』で『犯罪的』なものになっていませんか。」「正しい商品説明をし、納得してもらった上でお買い上げいただいていますか。」「メリット、優位性だけを一方的に説明するような、押し付け営業になっていませんか。」「消費者(顧客)はどんな商品を求めているのでしょうか。ニーズの探索に基づいた営業が行われていますか。」「そして消費者(顧客)の満足を獲得していますか。」と問われているのである。

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3.企業にとって営業パーソンは不可欠である

それでは情報化の進展など、現在の企業を取り巻く経営環境の中で、営業パーソンは本当に必要とされていないのであろうか。営業パーソンやその営業活動について、「そんなことはない。今こそ存在価値はあるのだ」というのが、私の結論であり、主張でもある。逆に営業という職種が見直されるべきだと考えているのである。

営業という職種について、インターネットや電子メールなどで商品説明は十分に可能であり、必要性が少なくなっている、という意見がある。しかし、そういう情報化に頼った商品説明は、企業(組織)と消費者(顧客)の間の距離が長く、十分なコミュニケーションを果たすことはできない。むしろ、営業パーソンによって、ヒトとヒトとが接することにより、親しい関係でのコミュニケーションが可能になるのである。消費者(顧客)にとって、商品情報の収集方法は多様にあるわけだが、その中でもヒトとヒトとが接することによる口コミは、普通に考える以上に成果をもたらすのである。そういう意味でも、営業パーソンが、今こそ必要とされている時代はないのであり、その存在価値は大きくなっているとさえ考えられる。

日本の中小企業だけでなく、大企業においても、営業活動が不十分な状態にある、との指摘を多く耳にする。「品質の高い商品を持っているのに、営業部門が弱く、良質な営業パーソンがいない」と嘆く声が聞かれる。ここでも、営業部門が必要ないという意見よりも、強化すべき部門だという認識が高まっているのである。 

だからこそ、この『営業パーソン読本』でくりかえし述べているように、職業倫理に基づいた良識ある営業パーソンの育成が、今の企業に、そして大きく言えば、今の日本社会全体に必要になっているのである。

そうした営業パーソンを育成することによって、営業パーソンとその営業方法に対する信頼の回復を図らなくてはならない。その結果、消費者(顧客)の中にある、営業パーソンに対する不信感を払拭し、大きく括れば、企業の名誉回復が図られる必要がある。

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4.ヒトとヒトが接することの大切さ

 ヒトとヒトが接することの大切さについて、もう少し考えてみたい。

話は変わるが、地下鉄の最寄りの駅から私の自宅までは、徒歩で10分弱の時間がかかる。そしてその間に、道路わきに何台もの飲料の自動販売機が置かれている。ざっと数えてみるのだが、7、8台の自動販売機を数えることができる。私もときどき、缶コーヒーなどの飲料を100円とか110円のコインを入れて購入することがある。

一方、私は数年前の4月、一人で海外旅行をすることになり、ドイツのハノーバーという都市に「セビット」という情報関係の展示会に行くことになった。そして、ハノーバーの安いホテルに4泊して、その展示会を視察したのである。

そして、丸々2日間にわたって展示会場を歩いたのであるが、広い展示会場には飲料の自動販売機が皆無だったのである。またハノーバーには、ホテルを含めて自動販売機を見ることはなかったのである。その次に、ベルリンにも4泊するのだが、この市街にも自動販売機はなかったし、4つ星クラスのホテルには、古びたコーラの自動販売機を1台見るだけであった。8泊のドイツ旅行全体で、自動販売機を見ることがほとんどなかった。

展示会場にいるときにそのことに気づいたのであるが、自動販売機がないため、ミネラルウォーターやコーヒーを飲む場合は、スタンドでヒトを介して購入するか、売店で、これもヒトを介して購入するしかなかった。ノドが乾いた私は、一日に何回もその都度、ヒトを介して飲料を購入したのである。

こうしたドイツを旅行しながら、私はドイツ社会全体に一種の余裕と言うか、ゆとりを感じていた。飲料という小さな買い物であっても、そこにヒトを介することによる社会的余裕、社会的ゆとりを感じたのである。それに対して、日本での自動販売機の多さに改めて驚き、そこに一種の疎外感があることを思い知った。日本の社会的余裕の無さというものを感じたのである。

もっとも、その話を友人にすると、もしドイツの市街に自動販売機を置いたら、一夜のうちにその機械の中に入れられた金銭が盗まれてしまう、そのために自動販売機を置けないのだという意見を聞いた。そうだとしても、ドイツでの自動販売機の無さに、私は一種のゆとりを感じたのは、まぎれもない事実なのである。

そういう経験を経て、私は、ヒトとヒトが接することの大切さを感じるようになった。飲料という小さな商品の販売でも、ヒトが間に入ることによって、そこに社会的余裕が生まれ、社会を豊かにするのではないか。そして、インターネットなどによって、どんなに情報化が進展しても、ヒトによる営業の大切さ、ヒトとヒトとのコミュニケーションの大切さ、口コミ営業の大切さを改めて感じたのである。そこに、優れた営業パーソンを介して営業活動が行われることの大切さを、改めて感じるのである。

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5.商品を媒介にした消費者(顧客)とのコミュニケーション

よく指摘されることだが、営業パーソンにはコミュニケーション能力が必要だと言われる。消費者(顧客)と直接、接する営業パーソンにとって、ヒトとヒトの関係を円滑にするコミュニケーション能力の必要性は、当然のように思われるかもしれない。 

しかし、多くの場合、こうして語られるコミュニケーション能力とは、付き合いが上手い、話が上手いといった程度のことを指している。そして、「職業倫理として正しい営業パーソン」のあり方を考えるとき、こうしたコミュニケーション能力についての考え方は安易なようにも思えるのである。

すなわち、「職業倫理として正しい営業パーソン」は、商品を媒介にして消費者(顧客)とコミュニケーションを図る、ということであり、その役割はコミュニケーション自体にあるわけではない。商品を理解してもらううえでのコミュニケーション能力なのである。

一方で、営業パーソンのプレゼンテーション能力が問題になるが、この用語には、営業パーソンから消費者(顧客)への一方通行のニュアンスがある。これも少しではあるが安易な用語のような気がする。すなわち営業パーソンは、消費者(顧客)と双方向性のあるコミュニケーションが必要なのであり、プレゼンテーションとはやや違った意味合いが、そこに込められているのである。

すなわち、消費者(顧客)のニーズを語ってもらい、営業パーソンはそのニーズを探索し、それに対応していくという双方向なコミュニケーションによる関係の構築が大切なのである。営業パーソンには、「ニーズを聴いて探索する」という意味でのコミュニケーション能力も期待されているのである。別の言い方をすれば、消費者(顧客)の身になって考え、消費者(顧客)の話をよく聴く能力が、営業パーソンに求められているのである。

そして「取引が成立する」、営業パーソンから言えば「成約ができた」ということの本当の意味は、消費者(顧客)と営業パーソンとの両方にとって、ウィン・ウィンな関係における「成約」なのである。こうした考え方からは、営業パーソンが自分の企業(組織)の利益を優先し、「詐欺的」で「犯罪的」な営業をするという姿勢は感じられなくなっている。

「職業倫理として正しい営業パーソン」においては、こうした意味合いのコミュニケーション能力が期待されているのであり、そういう能力をもった営業パーソンの育成が待たれているのである。

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6.営業パーソン個人への信頼感の醸成

 もう一つ、営業パーソンとその営業活動について、よく言われることがある。それは、商品を営業するのはもちろんだが、それ以前に、営業パーソン自体に対する信頼感を、消費者(顧客)との間で醸成せよ、というものである。商品を売り込む前に、営業パーソンというヒトを売り込めというものである。

 一般的な営業パーソンの人柄に関して、「調子がよくて、如才がない」というイメージがこれまでは強かったと思う。その調子のよい話し方、ヒトとの接触の仕方を、「あの人は営業だから」と皮肉混じりに見られてきたように思う。その結果、営業パーソンは尊重されないばかりか、軽く見られ、卑下されてきたのではなかったか。

そういう営業パーソンの人柄に対する評価というものが、見直されなくてはいけないように、私は考えている。そこでは、営業パーソンの役割(商品の「伝書バト」としての役割)が認識されていないように思うのである。

 つまり、「調子がよい。如才がない」という、これまでの人柄のイメージに対して、商品をきちんと説明し、伝えることのできる「誠実な人柄」と評価される必要があると考えるのである。営業パーソンにとって、誠実な姿勢、人柄こそが必要なのであり、そういう意味合いにおいて、営業パーソン個人に対する信頼感が醸成されなくてはいけない。「誠実さ」というものは、ビジネス・パーソン全体にとって大切なことであるわけだが、営業パーソンもまた決して例外ではないと考えられる。

営業パーソンは、商品を消費者(顧客)に伝える「伝書バト」として、誠実な姿勢を保持し、信頼される必要がある。そういう意味で、商品を売り込む前に、営業パーソンとしてのヒトを売り込むことが必要なのではないだろうか。それが、「ヒトを売り込む」ということの意味合いではないだろうか。

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7.「自立」「自律」することのできる営業パーソン

 「誠実な人柄」が営業パーソンとして必要だと述べたが、営業パーソンとしての特性というよりも、一人のビジネス・パーソンとして大切なのが「誠実な人柄」であると言える。営業パーソンもまた、「誠実さ」を、職業倫理として持つべきなのである。営業パーソンは、企業(組織)の一部門のビジネス・パーソンとして、誠実な人柄を保持するために成長しなければならない。

私は、ビジネス・パーソンは、「ジリツ」することが大切だと考えている。この場合の、「ジリツ」とは、「自立」であり、「自律」であると思う。その両方が、ビジネス・パーソンの職業倫理として大切だと考えている。

 まず、「自立」から考えてみよう。どうも私だけでなく、日本人全体が持つ特性のようにも思うのだが、私たちは、他人がやっていることに追従する傾向があるように思う。他者がやっているのだから、自分も同じようにしようと考えるケースが多いのである。これは「自立」に反する、悪しき習慣ではないだろうか。

 営業パーソンにおいても、この文章で強調しているように、ほかの営業パーソンが「詐欺的」で「犯罪的」な営業活動をやっているのだから、自分も同じようにやろうと考えがちである。また、企業(組織)全体がやっていることだから、その価値観に従おうと考えてしまう。そこには、ビジネス・パーソンとしての自立意識が欠けているのである。

 そこで、営業パーソンばかりでなく、ビジネス・パーソン全体に求められているのは、自身の価値観の醸成であり、自分で考え、自分で判断できるという能力なのである。つまり自分で意思決定できる判断力が大切なのである。営業活動に伴う様々な場面において、そうした能力が試されていると考えられる。

 もう一つの「自律」という用語はどうだろうか。こちらの「ジリツ」も営業パーソンはもちろん、ビジネス・パーソン全体に必要な能力なのである。

 すなわち、営業パーソンは、これまで述べてきたような職業倫理に基づいて、すなわち自身の価値観に基づいて、「自らを律する」必要がある。そうした倫理的な意識を強く持つべきなのである。

自己管理能力という意味でも、「自律」は大切なことだ。常に良い仕事ができるように、体調を維持し、誠実に仕事にまい進できるように「自らを律する」ことが大切なのである。これも営業パーソンばかりでなく、ビジネス・パーソン全体に求められる能力である。そういう心構え、姿勢が仕事に対して求められており、これも仕事をしていくうえでの職業倫理として、とても大切なことだと考えられる。 

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8.営業パーソンにとっての「良い仕事」とは

営業パーソンに対するマネジメント方法、特に報酬のあり方について、多くの会社で成果報酬制度が採用されている。より端的に言えば、歩合給与制度である。ときには、ノルマを課して、その目標に達成した場合の報酬を決め、それを標準にして給与が決定されるような報酬制度が採用されている。

こうした成果報酬は、多くの会社で採用されており、営業パーソンに対するマネジメントとして今後もなくなることはないだろう。営業活動がそういう制度を採用しやすさ、すなわち売り上げに準じて給与を決定しやすい、というその職種独自の性格も無視できない。

しかし短期的に見れば、こういう成果報酬制度は成果が上がるかもしれないが、長期的に見れば、会社にとって成果の上がる制度にはならないと、私は考えている。営業パーソンにとっても「良い仕事」に誘導することにはならないと考えている。

なぜならば、営業パーソンはあくまでも企業(組織)の一員であり、商品の企画、製造(サービス業ならば提供)、そして営業、という企業活動のサイクル、価値創造サイクルの一貫として捉えられるものである。営業活動と言うものをそういうように捉えるとき、成果報酬制度は大いに問題なのである。長期的に見れば、会社にとって成果の上がらない給与制度だと、私には思えるのである。

成果報酬制度については、営業パーソンばかりでなく、ビジネス・パーソン全体のマネジメント方法として採用されてきたが、この制度が大きな問題点を抱えていることはよく指摘されるところである。ここでは詳しく論じないが、成果報酬制度自体に大きな問題があるのであり、営業という職種においても例外ではないと、私自身には思えるのである。

営業パーソンにとって「良い仕事」とは、企業(組織)が開発した優れた商品を、より優れた方法で消費者(顧客)に対して伝えることである。この『営業パーソン読本』で、何度も指摘しているように、商品の「伝書バト」になることである。もちろん営業が成立し、契約されることを目指すわけだが、営業パーソンにとって、契約までのプロセスこそが大切なことは、これまで説明したとおりである。そのプロセスを確立し、商品の優位性が伝えられたとき、営業パーソンにとって「良い仕事」をしたということになるのである。

そういう組織の一員として、成果報酬ではない制度で、営業パーソンをマネジメントすることが大切なのである。その結果、「良い仕事」の出来る営業パーソンが育成されると考えられる。

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9.法律以前の職業倫理の学習が必要

 ここまで職業倫理に基づいた営業パーソンの育成を論じてきたのであるが、職業倫理と矛盾しない人材育成を図る場合、多くの場合はそれぞれの法律を学習することが多い。「法律の学習による、法律に違反することのない営業パーソンの育成」というような文脈で育成が図られることが多いのである。

 しかしここまでこの『営業パーソン読本』をお読みいただいた方は気がついたと思うが、決して「ビジネスの倫理に基づいた営業パーソンの育成=法律の学習」というようには、私は考えていない。法律を学習しなくても、それ以前の、ビジネスに対する理念・姿勢を身に付けることによって、つまりそれが私の考える「職業倫理」なわけだが、それは法律の学習以前に身につけるべきものなのである。そのため、ときとして法律を引用することがあっても、その法律の学習は、この『営業パーソン読本』では少なくなっている。そうではなく、その法律に込められた主旨としての「理念」「姿勢」を重んじているのであり、それが「営業パーソンの職業倫理」だと考えているのである。法律を学習する前に、これらの「職業倫理」を学習することによって、結果として法律に矛盾しない営業活動が実践されるのである。そういう「職業倫理」を身に付けることが、営業パーソンにとっての、もっとも必要な「能力」になると考えられる。

 これまでの経営倫理としての「ビジネス倫理」の学習においては、法律を学習することが多くあった。しかし、真の意味での人材育成というものは、法律を学習することによって獲得できるものではない。そうではなく、誠実な人格の育成であり、ビジネスに対する「理念」や「姿勢」の醸成なのである。そういう意味合いでの営業パーソンの育成が図られることが大切なのである。

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第5章 企業の信頼感の回復   
『お客様から信頼されるって、こういうことなんですね。』  
部下のひと言で、社内に自信と笑顔が確実に芽生えました。

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第3章 企業と個人の関係
『営業が楽しいと初めて感じました。』
部下からのそのひと言に感動を覚えました。

 

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